祖先は、周防国大島郡出身、毛利氏の一門に仕えた後、蒲生氏に仕え二代目総左衛門の代から南部藩に馬医として仕える。
初代大島総右衛門 元会津浪人若松総右衛門と称す。盛岡に来て大坪流馬術を教え馬医を業とした。寛文12年2月22日(1672年)没。
二代大島総左衛門 目時助之進二男にして総右衛門の養子となる。寛永4年6月23日(1664年)初めて南部藩に仕える。正徳2年6月10日(1712年)没。
三代大島孫助秀政

享保10年1月18日(1725年)没。享年59歳。

四代大島助之丞政照

享保11年11月26日(1726年)江戸で没。享年25歳。

五代大島平助政高

同姓大島兵七三男にして、助之丞の養子となる。
安永3年6月17日(1774年)没。享年58歳。

六代大島総右衛門

高稠 又政員と称す。一條直之丞の息子で名は半次郎。
大島平助の養子となる。文政1年10月6日(1818年)没。年壽未詳。

七代大島総平高敷

幼名平太郎。天保5年7月6日(1834年)没。年壽未詳。

八代大島周意高基

幼名祐平 又新六と称す。
天保12年1月13日(1841年)南部藩奥医師。藩の薬品吟味御用、海防御備・硝石製法(火薬)の御用も受けた。医業の専門が本道(内科) だが外科も兼ね、名医として名高かった。
万延元年6月1日(1860年)隠居
嫡子総左衛門に家督を譲る。文久元年2月29日(1861年)没す。
盛岡市永泉寺に葬る。享年61歳。   

       妻 千代 大和田富六姉。
明治11年2月6日(1878年)東京で没す。
享年79歳。谷中天王寺に 葬る。
九代大島高任 文政9年5月11日(1826年)盛岡に生まれる。
幼名文治 後に周禎 更に総左衛門と改む。
明治34年3月29日(1901年)
東京で没す。享年76歳。
谷中天王寺に葬る。
    妻 八十
     (やそ)
文政12年10月10日(1829年)生れ。
長澤玄光長女。嘉永4年2月(1851年)
高任と結婚。明治33年1月29日(1900年)没す。
享年72歳。谷中天王寺に葬る。
十代大島道太郎 万延元年6月18日(1860年)盛岡に生まれる。
明治10年4月(1877年)東京大学理学部採鉱冶金学科修業。
大正10年10月11日(1921年)中国、漢口に於て没す。
享年62歳。谷中天王寺に葬る。
    妻 ふさ 慶応元年11月23三日(1865年)生れ。 
佐賀県士族徳永贇二女。
明治18年4月19日(1885年)結婚。
昭和22年(1947年)東京にて没す。享年83歳。
十一代大島文郎 明治22年6月30日(1889年) 東京に生まれる。
大正14年10月31日(1925年)没。享年37歳。
    妻 酉(ゆう) 佐賀県士族丹羽武朝妹。
明治32年6月10日(1899年)生れ。
大正11年9月14日(1922年)結婚。
昭和27年6月22日(1952年)東京にて没す。享年54歳。
十二代大島康次郎 大正8年10月22日(1919年)生れ。
広島県立呉第一中学校四学年終了。
広島高等学校理科甲類卒業。
東京帝國大学工学部造兵学科卒業。
東京帝國大学第二工学部講師嘱託。
東京帝國大学第二工学部助教授。  
東京大学名誉教授(工学博士)
平成6年7月10日(1994年)没。享年76歳。
     妻 夏 江 大正12年7月23日(1923年)生れ。
東京女子高等師範学校卒業(昭和16年)
家事手伝い(昭和16年〜昭和20年)
渡辺康次郎と結婚(昭和20年3月25日)

 

大島家家系図